自分の経験・知識の範囲でしか分かり合うことができない
テレビをONもにするといつも流れる不協和音。今日も、明日も、あさっても終わることはない。
世の中には千差万別の闘争があり、そこから生まれる悲劇があり憎しみがある。
恋愛・友情・政治・宗教など規模と性質は異なっても 闘争の本質は、想像力の欠如だと思う。
人は自身の想像力の及ぶ範囲でしか他人を理解しようとしない。
頼るものは、自分の経験・知識・思考力。
だいたいの場合、それで物事を判定している。
そしてそれを主張することが当然の行為だと信じて疑わない。これは紛れもない真実。
互いの主張がぶつかり合ったとき、他人を理解できないことを、それぞれの価値観の違いだと、簡単に処理してしまうことで、その人間の成長は停止するのではないかと思う。
自分のテリトリーを決め、その線から外側にいる人は自分とは異質な存在となる。あるいは敵となる。
僕自身、生活の中のあらゆる面で理解しようとする努力をどこまで続けて行くべきなのか考える(迷う)ときがある。
僕のボーダーはここまでと決めてしまったならば、あるいは自然の流れで自分という城が出来てしまったならば、きっと生きて行くことはもう少し楽なのだろうと思う。
でもできる限りそうはしたくはない。僕はまだ若い。(そう思いたい。)
線を引いてしまうにはまだ早すぎると考えたい。
そんな綺麗ごとに聞こえるかもしれないけれど、希望的かつ楽観的な思考回路を持っていたいと思う。