妹の結婚式、父はいつもより少し小さく見え、妹はいつもより少し大きく写った

昔の日記を載せます

 

この連休は生まれ故郷である岩手へと向かった。 5月3日の妹の結婚式に参加するためだ。


僕は中学を卒業してすぐに地元を離れたので、
それ以来、正月・盆以外に実家に帰るということはなく、 五月に岩手の土を踏むのは10年以上前のことになる。

 

桜が満開だった。

 

僕と妹は二歳しか歳が違わないのにも関わらず、 これまで、全くといっていいほど交流はなく、それぞれがそれぞれの道を進んできた。


そんな妹が結婚すると聞いたのは去年のことだった。 今となっては言い訳に過ぎないが、大人になると自分のキャパシティーを超える 「仕事」というご立派な大義名分が大切な何かを忘れさせ、 チープな日常に埋没してく自分を引き上げてくれるものはなかった。


兄として兄らしいことを何一つ出来ない自分がもどかしくもあり、何も具現化できない自分自身の器の小ささを嘆きながらもここまで来てしまったことを後悔している。

 

およそ七年前、お兄ちゃんに、そっくりな彼氏を見つけたといって紹介してくれたのが今の旦那。


これまでずっと、兄らしいことを何もしてやらなかった。

 

そんな僕に似ているんだといって、うれしそうに笑顔を見せる妹をとても愛らしく思ったことを覚えている。初めて紹介されたときは、ハタチそこそこのママゴト程度の恋愛なのだろうと思わないでもなかった。


でも、今こうして結婚という一つの形を作り上げた二人を見ていると、出会った日から、神父さんの前で誓いのキスを交わすこの日まで、ストーリーは最初から出来上がっていたのだろうと思えるほどだった。

 

ウェディングセレモニー。
父の腕に腕を絡ませ緊張した顔つきで一歩一歩入場してくる妹の姿。


父はいつもより少し小さく見え、妹はいつもより少し大きく写った。

 

僕はクリスチャンでもなんでもないが、聖書より引用されたいくつかのセンテンスは普遍的なもので、誰の心にも響くものだった。


「一人ならば打ち負かされても、二人ならば立ち向かえる」

 

披露宴。
僕は、「涙を流さないこと」と「飲みすぎないこと」という大きな試練を乗り越えなければならず、予想以上にタフな時間となったが、沢山の人に祝福され、笑ったり、涙を流す妹と旦那を見て、幸せの定義を肌で感じることができた。


これから新しい家族となる両家のつながりを確かめるためのスピーチ。


妹が読みあげる両親への手紙。祖父母へのメッセージ。


さいころ僕と妹二人で写っている懐かしい写真のフィルム。


一つ一つのことが重く、人間の縦と横のつながりが感じられた。


全てのことは偶然ではなく必然なのだということ。


幸せであることを幸せであると、これほどまでに堂々と示すことの出来る時間のすばらしさに、ただただ浸っていた。

 

披露宴も終わり、妹たちは、会場をあとにする人々を見送るために一足先に退場した。


別に酔っ払っていたわけではなく、最初から決めていたわけではないが、僕は妹に一言言わなければならないと、誰よりも先に一人会場を抜け出した。


単純な一言が人生の色を180度変えることがある。


そのとき僕は心の底にためておいた一言を無意識に妹に伝えた。  


妹は涙でそれに答えた。


二人の間で凍っていた目に見えない壁を溶かしたと思った瞬間。


一人よがりかもしれないが、ほんとうにそう感じた。 確かに血のつながった兄妹であること、これから長い人生、 何が起こるかわからない人生、大切にすべきものが何たるかを確認し合えた瞬間だったと思う。

 

ごめんなさい、ありがとう、これからもよろしく。


この三つの言葉さえあれば、何が何がなくても生きていける。


帰りの車の中で、遅咲きの桜を眺めながら、そんなことを思いつつ、二人の幸福が永遠であること祈った。