自分の経験・知識の範囲でしか分かり合うことができない

テレビをONもにするといつも流れる不協和音。今日も、明日も、あさっても終わることはない。 


世の中には千差万別の闘争があり、そこから生まれる悲劇があり憎しみがある。


恋愛・友情・政治・宗教など規模と性質は異なっても 闘争の本質は、想像力の欠如だと思う。

 

人は自身の想像力の及ぶ範囲でしか他人を理解しようとしない。


頼るものは、自分の経験・知識・思考力。


だいたいの場合、それで物事を判定している。
そしてそれを主張することが当然の行為だと信じて疑わない。これは紛れもない真実。

 

互いの主張がぶつかり合ったとき、他人を理解できないことを、それぞれの価値観の違いだと、簡単に処理してしまうことで、その人間の成長は停止するのではないかと思う。


自分のテリトリーを決め、その線から外側にいる人は自分とは異質な存在となる。あるいは敵となる。

 

僕自身、生活の中のあらゆる面で理解しようとする努力をどこまで続けて行くべきなのか考える(迷う)ときがある。


僕のボーダーはここまでと決めてしまったならば、あるいは自然の流れで自分という城が出来てしまったならば、きっと生きて行くことはもう少し楽なのだろうと思う。


でもできる限りそうはしたくはない。僕はまだ若い。(そう思いたい。)


線を引いてしまうにはまだ早すぎると考えたい。


そんな綺麗ごとに聞こえるかもしれないけれど、希望的かつ楽観的な思考回路を持っていたいと思う。

 

Thank you & Good luck, NOVAの素晴らしい先生Ianの話

昔の日記を載せます

 

アメリカ人、Ian(イアン)。七年間にわたり横浜本校を支えてきた講師だ。


今日をもってNOVAを退職し、次のステージへ進む。


某大学の講師へとキャリアアップする。

 

僕が二年前に横浜へやってきて、初めてレッスンを受けたときの講師だった。

 

先生という仕事をしている中で一番のストレスは? こんな質問を投げかけてみた。


「同じことを50回教えても理解してくれない生徒がいる・・・」


顔を赤らめて、その状況をフラッシュバックさせ、眉間にしわを寄せながら話してくれた。


僕も学生時代家庭教師をしたことがあるので同情できた。

 

でも、Ianの本意は僕の想像の範囲外だった。


高いレッスン料金を払って来てくれている生徒に対して、簡単なことも理解させることのできない自身の能力を嘆き、自己嫌悪に陥り、その辛さが彼を苦しめたのだという。


生徒に申し訳ないと思うことがストレスだったのだという。

 

「熱意」


NOVAではカジュアルなイメージが先行する講師に当てはめるのはおおよそ困難な言葉だが、Ianの代名詞を考えた場合、この言葉が最適だと思う。


生徒の語学上達を最優先に考え、テキストどおりではなく、彼なりにアレンジを加えたレッスンを準備してくれる。

 

彼に学んだことは大きい。


僕から彼に最後に発することのできたのは「Thank you」と「Good Luck」くらいだが、
言葉にならないほど感謝している。


近頃、悪いことばかりがニュースで取り上げられるNOVAだけれど、本当にすばらしい先生もいるのです。


Ianの熱意を無駄にしないよう絶対に英語をマスターしたい。

 

異文化交流

休日出勤の代休も取ることができたので、昨日今日と連休になった。5月に受ける予定のTOEICに備える目的もあるのだが、この二日間は英語をやることにした。

 

三月は出会いと別れの季節。

 

去る先生も多いが、新しくやって来る先生も多い。日本に来たばかりの先生の緊張している雰囲気が初々しく、とてもよい。

 

アメリカやイギリスで「風雲たけし城」が大人気だということ。


日本人の多くがどうしてマスクをしているのか?という疑問。


講師のモミアゲがプレスリーみたいだからといって、 「Do you like rocknroll?」と質問する日本のおじさん・・・。


こんな小さなことから、アメリカの大統領選挙のことまで、生徒と講師のコンビネーションにより話題は変化するけど、日本ズレしていない講師の生の声を聞くことができるのは僕にとっては新鮮だった。

 

黒人の先生がドンキホーテーのことをホンキドーテー、ホンキドーテーと連呼していたのが、僕の笑いのツボのストライクに入り、笑いをこらえるのがしんどかった。


「本気童貞」と日本語に置き換えてしまった僕が悪いのか...

 

新型コロナウイルス - トリアージをせざるを得ない医師の精神的な過酷さ

 

 

 

「われわれは人々を治したくて医療の道に進んだ。誰が生き残れるのかを決めるためではない」今日のニュースで目を引いた一文。

大規模災害など多くの患者が一度に病院に運ばれる状況において、医師たちは患者を以下の4つに分類する必要性に迫られます。

 

赤=最優先で治療する
黄=待機してもらう。空き次第治療次の優先
緑=軽症だから治療は保留する、様子見
黒=死亡群、蘇生の可能性がないため、治療はしない

 

人が人を裁いてよいのかという裁判の議論と同様、人が人の命の優先順位を決めざる得ない状況というのは想像を絶するストレスと葛藤の世界なのだと思います。

 

今、世界中で、すべての医療従事者がこうした現実に直面しています。医療従事者ではない我々一般人ができることは何なんだろう。。。

 

妹の結婚式、父はいつもより少し小さく見え、妹はいつもより少し大きく写った

昔の日記を載せます

 

この連休は生まれ故郷である岩手へと向かった。 5月3日の妹の結婚式に参加するためだ。


僕は中学を卒業してすぐに地元を離れたので、
それ以来、正月・盆以外に実家に帰るということはなく、 五月に岩手の土を踏むのは10年以上前のことになる。

 

桜が満開だった。

 

僕と妹は二歳しか歳が違わないのにも関わらず、 これまで、全くといっていいほど交流はなく、それぞれがそれぞれの道を進んできた。


そんな妹が結婚すると聞いたのは去年のことだった。 今となっては言い訳に過ぎないが、大人になると自分のキャパシティーを超える 「仕事」というご立派な大義名分が大切な何かを忘れさせ、 チープな日常に埋没してく自分を引き上げてくれるものはなかった。


兄として兄らしいことを何一つ出来ない自分がもどかしくもあり、何も具現化できない自分自身の器の小ささを嘆きながらもここまで来てしまったことを後悔している。

 

およそ七年前、お兄ちゃんに、そっくりな彼氏を見つけたといって紹介してくれたのが今の旦那。


これまでずっと、兄らしいことを何もしてやらなかった。

 

そんな僕に似ているんだといって、うれしそうに笑顔を見せる妹をとても愛らしく思ったことを覚えている。初めて紹介されたときは、ハタチそこそこのママゴト程度の恋愛なのだろうと思わないでもなかった。


でも、今こうして結婚という一つの形を作り上げた二人を見ていると、出会った日から、神父さんの前で誓いのキスを交わすこの日まで、ストーリーは最初から出来上がっていたのだろうと思えるほどだった。

 

ウェディングセレモニー。
父の腕に腕を絡ませ緊張した顔つきで一歩一歩入場してくる妹の姿。


父はいつもより少し小さく見え、妹はいつもより少し大きく写った。

 

僕はクリスチャンでもなんでもないが、聖書より引用されたいくつかのセンテンスは普遍的なもので、誰の心にも響くものだった。


「一人ならば打ち負かされても、二人ならば立ち向かえる」

 

披露宴。
僕は、「涙を流さないこと」と「飲みすぎないこと」という大きな試練を乗り越えなければならず、予想以上にタフな時間となったが、沢山の人に祝福され、笑ったり、涙を流す妹と旦那を見て、幸せの定義を肌で感じることができた。


これから新しい家族となる両家のつながりを確かめるためのスピーチ。


妹が読みあげる両親への手紙。祖父母へのメッセージ。


さいころ僕と妹二人で写っている懐かしい写真のフィルム。


一つ一つのことが重く、人間の縦と横のつながりが感じられた。


全てのことは偶然ではなく必然なのだということ。


幸せであることを幸せであると、これほどまでに堂々と示すことの出来る時間のすばらしさに、ただただ浸っていた。

 

披露宴も終わり、妹たちは、会場をあとにする人々を見送るために一足先に退場した。


別に酔っ払っていたわけではなく、最初から決めていたわけではないが、僕は妹に一言言わなければならないと、誰よりも先に一人会場を抜け出した。


単純な一言が人生の色を180度変えることがある。


そのとき僕は心の底にためておいた一言を無意識に妹に伝えた。  


妹は涙でそれに答えた。


二人の間で凍っていた目に見えない壁を溶かしたと思った瞬間。


一人よがりかもしれないが、ほんとうにそう感じた。 確かに血のつながった兄妹であること、これから長い人生、 何が起こるかわからない人生、大切にすべきものが何たるかを確認し合えた瞬間だったと思う。

 

ごめんなさい、ありがとう、これからもよろしく。


この三つの言葉さえあれば、何が何がなくても生きていける。


帰りの車の中で、遅咲きの桜を眺めながら、そんなことを思いつつ、二人の幸福が永遠であること祈った。

 

 

 

Soul Mate 本当の友情ってなんなんだろう

昨日昔からの友人の家へ遊びに行ってきた。


その友人とは、実質的には一年に一度電話で会話して、半年に一度くらいメールで近況を報告する程度のもので、直接会ったのは七年ぶりなのだが、僕にとってはかけがえのない大切な友人の一人である。

 

僕が高校生のとき彼と下宿先が一緒だったことが付き合いの始まりだ。


その下宿では4畳半程度の個室がそれぞれに与えられたのだけれど、食事はみんなでいっしょに食べ、トイレ・お風呂は共同だった。


高校生が10人以上も住んでいる下宿の環境というのは、今考えれば、毎日が修学旅行のようなものだったなと思う。

 

今は住んでいる場所も近くはないし、お互い仕事が忙しくめったに飲みに行ったり出来ないけれど、一番多感な高校三年間を家族のように過ごした仲間だから、 七年間会っていなくても壁のようなものは全く感じなかった。


当時の昔話から始まり、今のお互いの仕事のこと、付き合っている彼女のことなど、話は尽きる事はない。

 

人と人の関係って不思議だと思う。
毎日のようにメールしたり密に連絡を取っていた人でも数ヶ月間音信不通になれば、一瞬で他人になってしまうこともあれば、数年間会わなくても切れない縁というようなものも存在するから。

 

近すぎれば傷つけあい、遠すぎれば無関心になる。
ずっと親友でいるためには、お互いにちょうどよい距離感を維持できること、一定の価値観を共有し、自分とは異質な部分を受け入れること、そして、尊敬しあうこと。


こんなことが大切なんだろうと個人的には考えています。


今身近でお世話になっている人たち、そしてこれから出会う人たちとも同じように切れない深いつながりを築いていければ幸せだと思う。

 

 

座禅に辿り着けず...ボンジョビの『LOST HIGHWAY』

6:00からの鎌倉円覚寺で行われる座禅会への参加を企てていて早朝4:30に目覚まし時計をセットしたものの、外のあまりの寒さと暗さにあっけなく断念してしまった。

 

禅を組む前に布団から出る根性を身につけるのが先のようだ。

 

結局、9時くらいまで二度寝して、遅めの朝食を取った。

 

家のベランダから外をのぞくと商店街の人たちがみんなで餅つき大会をやっていて、俺たちも参加させてもらった。

 

つきたての餅って生まれて初めて食べたかもしれない。暖かくてほんとに美味しいんだ。

 

午後はゴルフのスクールへ。

アイアンの調子がイマイチだったけどアプローチは絶好調。

 

あー早くコースに出たいな。

 

CDを買った。ボンジョビの『LOST HIGHWAY』

 

和訳すると『見えない道』ということになるらしいが、タイトルもそうだけど、詩にこめられている思いや、メロディ全体が今の自分と重なる部分が多く共感しながら聴いた。

 

見えない道の向こうにはきっと希望の光が見えるというジョンのメッセージにはかなり勇気付けられた。あーもし生まれ変われるなら、ジョン ボンジョビになりたい!